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ほんとかよ!?これから年収10万円の時代になるらしい。─AI社会で僕らはどう生きれば良いのだろう?

ちょっと前にボケーッとツイッターを眺めてたら、こんな記事が流れてきました。

森永氏がこんな予想をしていたとは知らなかったけれど、現代はほぼ予想通りになってますよね。
今回の新たな予想では年収10万円の時代が来るんだとか。
AIの登場でこれまで以上の超格差社会に突入していくと僕も想像はしていたけれども、年収10万円ってのは想像を超えてたよ。
本当なら衝撃ですわ。


3つの生き方

この記事は次のような言葉で締めくくれます。

我々はこれから3つのコースの選択を迫られます。1つはお金を動かして大金持ちになる。もう1つは会社のしもべとなって働き続ける。第3のコースがベーシックインカムで食いつないで、アーティストになる。真面目に働き続けることが馬鹿馬鹿しく感じて来ますね。アメリカやヨーロッパもそうなって来ているし、おかしな世の中になりつつあります。

1つ目のお金を動かすってのは、投資家投機家。
2つ目がサラリーマン。
そして3つ目が悪く言えば無職。
無職というのは今でこそ少数派なんだけど、彼の考える新時代においては多数派が占めることになるんだろう。
皆で渡れば怖くない的なそんなポジションに変化するのかな。

僕は既に無職ですが(^^)

すべては「使えるAI」の登場が原因だ

一般的にフォーマットや式が固定化している仕事に関しては、もう既に人間は無力に等しいです。
ちょっと前まではこれはPCの中だけの話で済んだんですが、ディープラーニングの登場で状況がかなり変わってしまいました。
というのも、リアルの世界での単純なルーチンワークでさえもAIを使ったほうが圧倒的に良い選択になってきていて、AIの工場への導入は着々と進んでいます。
人と違って24時間文句を言わずに働いてくれますからね。
それでいて精度もキープしてくれるんだから、使わない手はない。
現在多くのサラリーマンが格闘している、エクセルの単純入力の作業なんかも、そのうち音声対話で依頼して、自動でまとめてくれるような時代が来るのかもしれないですね。

これは経営者的にはかなりハッピーな変革なため、規制を求める動きも出てきそうだけど、歴史や国際社会での生き残りを考えると考えにくい。
この変化は素直に受け入れて、新しい生き方を模索する必要があるんでしょう。

これまでIT革命とか言って、随分と「合理化」されてきた現代社会だけれど、こっから更に加速していきそうです。


生き残りたい&生き残りたい

さて、こんな時代で生き残るには何が重要なファクターになるのか?と考えるのだけど、僕なりに出た考えは以下の4つくらいに収束します。

  1. AIを使えること
  2. 独自のデータを所有すること
  3. デザイン力
  4. 最終的なコンテンツの創り手

AIを使えること

AIを使う立場にある会社ですね。
社会の上流はAIを上手く使いこなした一部の大企業が握るようになると思います。
「AIを使えない」がマイナスに働くことはあっても、プラスになることはそうそうないでしょう。

独自のデータを所有すること

オープンデータな社会がどうのこうのと議論になってますけど、僕は「やっぱりデータこそが命なんじゃないの?」って思うんですよ。
「GoogleとかFacebookがオープンソースでAIライブラリの開発を推進してくれるのも、自分たちが絶対的なデータ保有者の立場にあるからこその行動である。」
僕はそう勝手に思ってるんで。

特殊なデータを貯め込んでる企業は面白そう。

デザイン力

どれだけ機能的に優れていても、使いやすくなければ意味はないに等しい。
それはWindowsとMacの競争や山ほどある類似アプリの競争によって、僕らは既に理解しているはず。
また、同じような商品であれば必ず価格競争が起こって、利益は一瞬で消え去ってしまう。

これらの根幹にあるのがデザインです。
見た目という意味でのデザインだけでなく、独創性とか発想力とかいうのも、一種のデザインだと思ってます。
現段階のAIというのは単純作業では圧倒的なパワーを誇るけれど、込み入った背景のある案件ではまだまだ人間のほうが優位そうなので。

最終的なコンテンツの創り手

僕らはたぶんAIが当たり前な社会になっても、今までのようにドラマとか映画とか見ると思うんです。
もちろん、ゲームもするし、スポーツもします。
学校帰りにはガリガリ君やコーラを買うような子供の姿もなくならないはず。

何がいいたいのかと言うと、最終的に僕らが必要とする物や事は、今とほとんど変わらないじゃないか、ということです。

そうなると参考になるのはスマホを手にした時の人間の行動の変化です。
ぼくらは単にテレビからYouTubeへ、新聞からネット記事へと見るもの読むものを変ただけであって、本質的には大して変わってないんですよ。
電車の時刻表にしても、より使いやすい形でスマホアプリへと置き換わっただけだし。

つまり、そういう誰もが読みたい・見たい・欲しいと思えるコンテンツってのはそこまで大きく変化しない。
その証拠に、早くも芸人さんは活躍の場がテレビからネットへと拡大してます。
若者にしか知られていないYouTuberとは違って、どの世代の人にも知られてるってのはやっぱり強いですね。
フィールドが変わっても売れる人は売れます。
反対にこの時代の流れで都合が悪くなるのは、この例で言えば、芸人さんありきでやってきた人達ですかね。
ヒカキン氏のように、自分で番組を作れちゃう人が既に存在しているんだから仕方ないとも思います。

このように合理化の流れはより一層加速して、中間が消え、コンテンツを製作する方々には良い時代になりそうだなと感じます。

副業解禁は新時代のための流れかな?

少し頭を切り替えて、最近話題の別なニュースに目を向けると、副業解禁ってのがあります。
これまで頑なに禁止してきた副業に関して、ジワジワと前向きに考える企業が増えているそうで。
こういうのを見ると、どうしても何か裏があるんじゃないかと疑ってしまいます。

真っ先に思いついたのが、これは弱いリストラ政策みたいなものか?ってこと。
副業が当たり前になったら、次は終身雇用って言葉を消しにかかるような、そんな気がするんですよ。
AI社会になれば、単純労働のために雇ってきた多くの人たちは経営的にはただのコストでしかなくなるんで。
どんなに配置転換しようとも限界はあるでしょうよ。

「副業解禁で人脈が広がる!」とか色々とポジティブなネタを謳っているけれど、こっちがホンネじゃないかなぁと思うのです。
まぁ社会人適性がなかった僕には一切関係がなさそうな事案なのでどうなってくれてもいいんだけどさ。
(´・ω・`)

森永氏が年収300万円時代を推理した際には、小泉内閣による派遣労働の解禁がキーポイントだったようなので、どうも気になって仕方がないネタです。

おしまい